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平助筆の由来記
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わが国の毛筆は、中国より渡来したことはいうまでもございませんが、その中国での毛筆の起源は殷の時代からとされています。日本で現存する毛筆は今から1300年前頃の正倉院の筆が最古とされています。
さてこの九州における毛筆業の起源を辿ると、延暦年間 (西暦732年頃) に 「筑紫筆」の名があったところから、すでにその時代から製筆業が存在していたことになります。
その昔よりこの福岡は博多の津と呼ばれわが国屈指の中国との交流の地で中国船の入港極めて多く、彼の地の文房具に接する機会もまた多く、且つ遣唐使帰朝のたびに種々の毛筆が持ち帰られたので製筆の技は全国に冠たるものがございました。弊社の遠祖河原田五郎兵衛 (豊前国河原田城主前田左京太夫清助の後裔・博多年行事の一人) は博多の津の製筆業者として、「筑紫筆」 の名匠の一人に数えられ、文亀永正の頃 (約500年前) には九州製筆界の第一人者としてその格式と名誉は全国津々浦々に鳴り渡りました。
さらに文禄年間に河原田平次は、肥前名護屋城において豊太閤に、筑前名島城においては、金吾中納言小早川秀秋に筑紫筆を捧呈し賞詞を得ました。そして、河原田家初代平助 (以後、歴代当主は、平助を襲名) のときに至り、天明年間、4代目平助はときの福岡藩主黒田斉隆公より御用筆の栄を戴き、その製筆業の由緒をたたえ、 『 復 古 堂 』の商号を与えられました。
その後、累代河原田家は益々製筆業を振興し明治期開花の素地を作りました。かくして9代目平助の頃より飛躍的発展期 (明治・大正・昭和) に入り名声をほしいままにいたしましたが銘筆 「筑紫筆」 の誇りを忘れた他業者による濫造のため不評の声も出てまいりました。その多くは唐筆を模造して長崎に送りあたかも唐より入荷したごとく見せかけ全国に販売するという悪弊を作りました。
若年ながらそのとき9代目平助は業界の将来をおもんばかりこれが改良を志し、同業組合をつくり厳にこの誤った商法を禁じました。この英断により福岡の製筆業者は各自の商標を附しひたすらに技術の優劣を競うことになり再び 「筑紫筆」 の名声はよみがえりました。
この時、平助は自らの名前を商標とし、爾来 「平助筆」 と名附けて今日に至りました。この 「平助筆」 の特徴はすべて手工芸でその使用材料の精選は勿論、特に筆軸に意をそそぎ脱穂・軸割れを防ぐ特殊なぐ技術を駆使しています。
明治28年宮内省より御用筆として皇室にお買上げの恩命を拝し大正15年には緑綬褒章をも拝受し、それ以来今日まで九州に於ける唯一の御用筆商としての栄誉に浴するを初め、書道界諸先生のご愛筆として広く全国よりご下命を戴いております。
ここに 「筑紫筆」 の縁起、弊社の由来を略述し、皆様の平素の御愛顧に感謝し、この上とも幾久しく御引立の程御願い申し上げます。
10代目平助 復古堂主人 謹白
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筆のラベル
写真右上 8代目平助
写真左下 9代目平助
筑紫筆の銘筆
内閣勧業博覧会褒状
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